2006年08月29日

第四回:文学(俳諧など)

さて、対策講座も四回目。もうすぐ8月も終わり、いたみ学検定試験申し込みも締め切られます。
さぁ気合入れていきましょう!!
今回からはいよいよ清酒を離れた分野へ。まずは「文学」です。
伊丹の文学的歴史はやはり、柿衛文庫から見て行くのが分かりやすいでしょう。
(財)柿衞文庫(かきもりぶんこ)
柿衛文庫は1984(昭和59)年開館。
清酒醸造で栄えた江戸期の伊丹では、俳諧文化が華開き、文人墨客の往来も頻繁でした。
この中で蓄積された文化遺産に故・岡田利兵衞さん(俳号・柿衞)の系統的な収集資料を
加えて発足したのが財団法人柿衞文庫です。
収蔵品は芭蕉直筆の「ふる池や」の句短冊や軸物、和本など約9500点を数え、
東京大学図書館の「洒竹・竹冷(しゃちく・ちくれい)文庫」、天理大学付属天理図書館の
「綿屋文庫」と並ぶ 日本3大俳諧コレクションの1つです。
文庫ではかつて伊丹にあった「也雲軒」を偲び、俳句塾を主催している。
主な所蔵品
松尾芭蕉筆 「古池や蛙飛び込む水の音」句短冊
上島鬼貫筆 「にょっぽりと」句一行物
与謝蕪村筆 「俳仙群会図」
小林一茶筆 「賀六十」自画賛
高橋草坪筆 「台柿図」   など
 

俳諧(はいかい)
主に江戸時代に栄えた日本文学の形式、その作品のこと。
5音−7音−5音よりなる長句と,7音−7音よりなる短句を交互に並べます。
その最初の1句が独立したものが俳句。36句連ねたものを歌仙,
100句連ねたものを百韻という。
「俳諧」の元の意味は「滑稽」「戯れ」といった意味がある。
江戸時代、京の松永貞徳(まつながていとく)によって俳諧が大成されました。
貞徳らによる俳諧の一派【貞門ていもん】(古風。貞徳風とも)から、やがて、
新しい表現「新風」【談林派 (だんりんは)】が現れます。
談林派は大阪の西山宗因(にしやまそういん)を中心にその弟子井原西鶴らが
参画していた。談林派が十年ほどの短い最盛期を終えると、
その後には松尾芭蕉があらわれ、蕉風(しょうふう)と呼ばれる作風を示した。
 

柿衞(かきもり)
伊丹町長・市長を歴任した故・岡田利兵衛さんの俳号。
歴代の当主が愛でた岡田家の名木「台柿(だいがき)」を衞(まも)るの意を込めたもの。
この柿の実は、江戸時代後期の歴史家の頼山陽(白雪の看板の字も書いているぐらい
伊丹の酒を愛していました)があまりのうまさに感激したという逸話が残っています。
 

也雲軒(やうんけん)
豊かな経済力のもと、酒造家たちを中心に文芸が流行、
「太くたくましい伊丹風俳諧」が起こりました。
その拠点だったのが京の俳人 池田宋旦が移り住み、作った俳諧塾「也雲軒」です。
ここには、西山宗因や井原西鶴ら諸国の俳人、文人が集いました。
「也雲軒」というのは池田宗旦の号でもあります。
伊丹の住人であった若き日の上島鬼貫(うえしまおにつら)も、この也雲軒に学びました。
 

上島鬼貫(うえしま おにつら)
「東の芭蕉・西の鬼貫」と称された俳諧師。
8歳・・・初めての句「こいこいと いへど蛍が とんでゆく」を作る。
13歳・・松江重頼(維舟-いしゅう-)に入門する。
16歳・・西山宗因の談林派に入門する。
也雲軒(やうんけん)にも学んで、伊丹風俳諧の若手俊英として活躍します。
25歳・・伊丹風俳諧に疑問を抱き、大坂に出ます。
57歳・・享保3年(1718年)『獨言(ひとりごと)』を刊行し、
その中で「まことの外に俳諧なし」と述べるに至る。
78歳・・元文3年(1738年)大坂鰻谷にて死去。

1904年河東碧梧桐(かわひがしへきごどう)が雑誌「ホトトギス」で
「鬼貫忌」の題で句を募集して以来、鬼貫忌は秋の季語となりました。

  
では、次回(9/4)の放送までしばしお待ちくだされ。
posted by 大内康弘 at 00:02| Comment(0) | TrackBack(0) | 今週の講座 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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